ひつじ日和

ひつじです。つらつらと書きます。

三千世界を旅して

三千世界。
元は仏教用語であり、「三千大千世界」の略。須弥山を中心とした一つの世界を千倍し、また千倍し、さらに千倍した大きな世界。これが一仏の教化する範囲という。転じて、広い世界のことを指す。

世界は広い。
確かにそうだ。
目の前にあるだけの世界が全てじゃない。
あなたが思ってるほど狭いものじゃないと教えてくれている。

そういった景色を見せてくれた伊東歌詞太郎には感謝しかない。

7月25日。東京・渋谷。
渋谷駅からほど近い場所にVeats Shibuyaはある。
昨年の2021年7月25日に決起集会とも言える「からだ」を行った会場だ。

この日は自身の誕生日ということも相成り、ツアーで行っていた「三千世界/Re:三千世界」ではなく、「シン・三千世界」と銘打って行われた。

会場には平日にも拘らず多くのファンが詰めかけ、チケットはSOLD OUT。
ファンを見てソワソワしてるのがわかる。
早く、彼の誕生日をお祝いしたいのだなと。

会場内には今まで感じたことの無い熱気で溢れていた。

いざ照明が落ち、ライブが始まった。
すっかりお馴染みになったオープニングSE。

否応なしに心が踊る。
始まるんだ。
その好奇心が擽られる感覚。

バンドメンバーが登場し、会場内のボルテージは上がり、歌詞太郎本人が登場すると最高潮に達した。

すっかり定着したが、鳴り止まない盛大の拍手で彼の登場を祝した。

1曲目、歌い出したのは「北極星」。
今回のシン・三千世界は1部と2部で全く違うことを行なった。
実際、2部の1曲目は、「アストロ」だった。
高らかに言っていた。
シン・三千世界は1度限りだと。
だから趣向を変えまくったことをしようとしたのか。
1部の1曲目で「先に言っちゃううもんねー!お誕生日おめでとう!!」と自分自身で誕生日を祝い出した。
会場は拍手で包まれたが、これは未だ感染状況が落ち着きを見せず、声を出せない僕たちの気持ちを代弁したのではないかと思う。
その後、1部2部とで曲は違うが
「キリトリセン」「ミルクとコーヒー」や「約束のスターリーナイト」「ムーンウォーカー」などボカロカバーやオリジナル曲を交えたセットリストで歌い上げていく。

途中口を開き語り出した内容も彼らしいものだった。

自身の誕生日にライブをやるアーティストはなんだか誕生日を祝えと言ってるようなものじゃないかと。
そして、近年の彼のライブはお金を使わせないようにしているのだと。

分かる。下積み時代が長かった彼だからこそ出てくる言葉だ。
来て貰えるだけで嬉しいのにその上お金を使わせるなんて心苦しいのだろう。
ファンの懐事情まで考えてくれてるアーティストは珍しいと思う。

しかしそれに異を唱える人がいた。
応援している人の誕生日ぐらい祝わせてくれ、お金を使わせてくれと。
その話を聞くや否や会場のファンたちは一斉頷き出した。

そんなアウェイの状況でも彼は続ける。
僕には価値がない価値がない。でも自分の作る音楽には自信がある。
常日ごろより言っている、【音楽はリスナーに価値を付けてもらうものだ】と。
彼は誕生日だから変わることはなく、常に音楽に謙虚だった。
偽物になりたくない。
常に高みを目指している彼らしい発言だった。

その後も「帝国少女」や「神のまにまに」「約束のスターリーナイト」「惑星ループ」「少女レイ」などのボカロ曲を歌うなど“歌い手”らしい曲のラインナップの一方、「Heeler」「さよならだけが人生だ」といったバラードでメッセージ性の強いオリジナル曲を歌い上げた。

再びMCで口を開いた彼から出た言葉はあまり聞きくない言葉だった。
今回ツアーで彼は怪我をしてしまった。
そのため、一部の公演が12月に延期になってしまった。
もちろん、音楽に邁進する彼のことだ。
医者の意見を聞かずにライブをやろうとしたが、流石に止められたという。
なんとも彼らしいエピソードではあるものの、なんでいつも、いつもいつも無理をするのだろうか。
その答えは2部のMCで出た。
「僕は君たちに感謝している!
誕生日だけ大切にする男はくそくらえ!!
毎日感謝してるからな!!!」

彼の言葉を借りると、価値のない“自分の音楽”に価値を付けたリスナーに感謝したい。
だから多少の無理をしてでもやり遂げたいと思うのではないだろうか。

でも、病気も治った。
怪我も完治した。
今いるのは完璧な歌詞太郎本人だ。
その本人が「これからは抜群の意味がわかないぐらいすごい歌を届ける!」と言い切った。

そう言い残すと、ラストスパートに向け歌を届けだした。

そう。
抜群の意味のわからないほどの凄い歌を歌った。
彼のライブでは鉄板になってる曲たちがラストスパートを彩る。

1部と2部のラストはmagic music。
僕達と彼を繋げてくれる架け橋みたいな曲。
2部のmagic musicの時事件が起きた。
大サビの「また会いたい」のところを「ありがとうっ!!」と幾度も噛み締めながら叫び続けた。

それだけファンに向けた感謝の気持ちが強いのだと感じずにはいられなかった。

magic musicを歌い上げた後は後ろ髪を引かれるようにステージから去っていった。でも拍手が止むことはない。

2部の最後アンコールで歌い上げたのはまさかの1部の1曲目の北極星だった。

北極星から始まって北極星に終わる過去に類がないように思う。

このシン・三千世界は1部2部通して完成されるものではないだろうか。

見上げればずっとそこにある北極星を再び知ることで元の場所に戻ってきたことが認識できる。そんな感覚。今回のツアーで彼と一緒に三千世界を見てきた。北極星を最後に聞くことで長かった三千世界をめぐる旅に終わりを告げ、元の場所に戻ってきた気がする。

今回の旅を礎にして、きっと彼は更なる高みへ進んで行くであろう。

今はゆっくり休み、次の更なる旅路へ一緒に付いて行きたいとそう思う。

大丈夫。
その旅立つ日はきっとそう遠くない。

心·技·体が織り成すもの。

心技体という言葉がある。
精神力(心)・技術(技)・体力(体)の総称のことで、主にスポーツ界等で使われることが多い。
似たような言葉で、健全なる精神は健全なる身体に宿るという言葉がある。
どれか1つ欠けてはならない。
そんな意味をこの言葉から感じることが出来る。
きれい事だと言われるかもしれない。
でもこの言葉達の言うとおりだと思う。
心でも、体でも、技でもどれか1つでも欠けてしまうとバランスが崩れ成り立たなくなってしまう。
そう思う。

ライブ名に「からだ」と名付けるということはそれなりの覚悟があるのだと、容易に想像つくのには時間は掛からなかった。
そして同時に、こんな自分を追い込む名前を付けるアーティストは他にいないなと思った。
そう、伊東歌詞太郎以外は。

2020年初頭から続く新型コロナの混乱の終息が未だに見えぬ中、伊東歌詞太郎が「からだ」というライブを2021年7月25日に開催するという情報が駆け巡り、僕たちを混乱させた。

奇しくも一年延期になった東京オリンピックの開催まっただ中。
いくらその日が伊東歌詞太郎としての誕生日とはいえ、あまりも無謀過ぎるのでは無いか思った。
でも考えてみると、大体彼は無謀なことをやる。
落ち着いて考えてみれば、何も不思議なことは無かった。

ツアーでもない。単発のライブ。
何かきっとある。そんな思いを胸に僕はチケットを申し込み、当日を迎えた。

若者が集まり、サブカルの中心地・渋谷。
その渋谷駅から5分ほど歩いた所に、Veats Shibuyaはある。
JVCケンウッド、通称ビクターがオープンさせた新施設だ。

この混乱の中、ライブハウスが生き残っているだけで嬉しく思う。
会場周辺にはファンが集まり、今か今かと開場を待っていた。
前回のツアー、「プレアデス」の時より、ワクワク感が増していると思った。
ライブへのワクワク感ではなく、なにを発表するのかというドキドキ感と表現した方が正しいのかもしれない。

例に漏れず僕も同じ気持ちだった。
会場内に入り、友人達と始まりを待っていた。

照明が落ちる。
聞き慣れたオープニングSEが会場に鳴り響く。
この今から始まるという感じがたまらなく好きだ。
バンドメンバーが登場し、歌詞太郎本人も出てきた瞬間、会場からは大きな拍手が巻き起こった。感染症対策のガイドラインに沿っているため、声をだせないからだ。
彼が一曲目に披露した曲は「北極星」……ではなく「アストロ」だった・
このことからも、このライブが通常とは違う物だと感じた。
これから出発する。そんな意思表示にも聞こえる唄。
いつもと違う始まり。やっぱり今回は何か違う。
その余韻のまま、夏の季節にぴったりの「真夏のダイヤモンド」へ。
思い起こせば、この曲を初めて聴いたのは2018年の君住む街へツアーの時だった。
それを思えば、もうあの夏から三回季節が回ったのだと思う。
この曲にはいつも背中を押して貰える。
大丈夫。明日は勝てるさと。
根拠なんてない、でも明日になれば出来ているかもしれない。
だから頑張れ!そう音楽に助けて貰っている気がする。
声は出せないが、コールアンドレスポンスの所ではみんなの手がリズムよく上がり、会場は瞬く間に一体感に包まれた。
そのまま、アップテンポの曲が続き、「ムーンウォーカー」のイントロが流れると
リズムに合わせたクラップが会場を包む。
「真夏のダイヤモンド」で1つになった会場はさらにまとまりを見せ、客席のボルテージは最高潮まで上り詰める。声が出せなくたって、ここまで1つになれる。
やっぱりライブはいい物だと強く思った。

3曲を歌い上げ、彼は口を開いた。
でも今回も会場内からは拍手が鳴り止むことは無く、彼は小さく「ありがとう……」「ありがとう……」と繰り返していた。
彼は口を開き、今回来てくれてありがとうと感謝の気持ちを述べた。
依然感染者が増え続けている東京。
さらに、オリンピック開催と相まって、緊急事態宣言発出期間中に人が集まるところに行くのには抵抗があるだろう。
勿論、今は馴染みになった、アルコールでの手指消毒や検温、有事の際に使われる連絡先のフォームへの登録がないと入場不可など、対策は万全に取られている。
また、感染症対策のガイドラインに沿った運営が行われている事はプレアデスツアーで知っていた。それでもやはり心情的には不安にもなる。
その中で来てくれてありがとうと彼は告げた。

その後はボカロカバー曲やオリジナル曲を歌い上げた。
ボカロカバーからは月光潤色ガールと恋愛裁判を披露した。
彼の歌声と主に、光の演出で会場に色を添える。
歌い手の彼らしい楽曲。そう思わずにはいられなかった。
その後「革命トライアングル」を歌い、プレアデスツアーで発表された「World's End」のオリジナル曲を2曲歌い上げた。
「革命前夜だ」この言葉に心が躍る。
ちょうど何か発表をすると言っていた。
この一部分だけ切り取って話しをするのはあまり好きでないが、今回の曲達は今回発表された重大な事へ繋がっているではないかと今になって思う。
その後は前回「プレアデスツアー」から演奏されるようになった「World's End」
彼の曲は相変わらずメッセージ性を持って僕たちに語り変えてくる。
World’s Endだってそうだ。
”たとえ望まない未来が待っていたとしても
その先に見える答えを探し出すだけ”
先が見えない中、来て欲しくない未来が来てしまうかもしれない。
でも、その先に見える本当の答えを探し出すだけと彼は説く。
確かになと思う。以前言っていた立ち止まっても、下を向かなければ立ち止まることにはなら
いと。

そんな事を思っていると、彼は「からだ」について話し出した。
以前、「こころ」ツアーをやって、心を磨いた。
「わざ」ツアーをやって技を磨いた。
そして、次に「からだ」ツアーのところで、彼は歌えなくなってしまった。
声帯結節。
喉にポリープが出来てしまう、歌手や言葉を生業にしている人がなりやすい病気。
そんな病気は彼に取り憑いてしまった。
あの出来事は今でも覚えている。
声帯結節を告白した、「火鳥風月ツアー」悔しくて声をにじませていた。
その後、上野でのシークレットライブで爆発させた悔しさの声。
でも彼は帰ってきた。
しかし、彼自身以前のように歌えていると中々感じていなかったそうだ。
でも上手く歌えないと思いながらも彼はとても彼らしい考えで歌い続けた。
「からだ」がだめなら、「こころ」と「からだ」で届ければいいのでは無いかと。
そんなきれい事と笑われるかもしれない。
でも彼はそんな事でさえもプラスに捉えていた。
体が十分ではない部分は心と技でカバーする。
でもそうすることで、心も技も磨かれた気がすると。
まさにさっきの「World's End」の歌詞に当てはまると思った。
そして続ける、去年の夏に以前と同じ状態に戻れた気がしたと。今だったら「からだ」が出来る。そう思ったのだという。

今日もいい物にする、だから最後まで聞いていって欲しいと
そう伝えると、
ライブでは初披露となる「DEEP BLUE」を歌い出した。
今までとは違い、ゆったりとしっとりと歌い上げられた歌声は観客の心にスッと入り込み、会場からは涙を我慢するような声があちらこちらから上がる。
その感動が残るまま、「さよならだけが人生だ」へ。
この曲も彼のバラード曲の中では定番になりつつある。
この曲の中で人は誰もが孤独だという。
でもその孤独は消せないでも、分かち合えることは出来ると歌っている。
辛い事も分かち合えれば、半減する。
傷付かない人間なんていない。上辺だけではない自分の汚い、見せたくないところを見せ合うことが出来ればまた違った未来があるのでは無いのか。側にいてくれる人もいるよと言っている。気が付くと涙がながれていた。
そのまま、「記憶の箱舟」へ
アニメ主題歌として起用された曲であるが、やはりアニメ主題歌だけにとどまらないメッセージ性を持って、僕たちに語りかける。
この曲中に出てくる
”今日だって 明日だって 傷付くこととか
悲しくなることばかりでも 繰り返す痛みを知った先には 優しさがある”
のフレーズがとても彼らしいといつも思う。
傷付いたからこそ、人に優しく出来るようになった。
彼は以前自著で言っていた。彼の傷はそう簡単に癒える物ではないだろう。
でもそうした経験があったからこそ、彼によって紡がれる曲達はエネルギーが強いのだろうとそう思った。

バラード曲を3曲歌い上げると彼は重大発表を告げた。
「ビクターからメジャーデビューが決まった」と
その言葉に客席からは今日一番の拍手が沸き起こる。
それを聞いていくつか合点が言った事がある。
今日の会場のこと。
物販でいつも必ずと言っていいほどあった新譜のCDがないこと。
メジャーデビューが決まるとある程度動きが取りづらくなる。
全てはその布石だったのかと思う。
彼は続ける。
「子供の頃からの夢をまた叶えられて嬉しい」と。
また何でメジャーに拘るのかと聞かれたことがあると。
返ってきた答えは実に彼らしい言葉だった。
「自分の音楽に価値を付けて貰える機会が増える」
これを聞いて、自著『僕たちに似合う世界』の
『音楽はリスナーに聞いてもらってか価値をつけてもらい、その人の中で魔法になるのだ』
という文章を思い出す。
音楽はどれだけ自分がいい曲が出来たと思っても、価値を付けてくれるのはリスナーだと。
通勤に聞くときにいいと言ってくれたり、
落ち込んだ時に聞くと言ってくれたり
失恋したときに聞くと乗り越えられたりと、いろんな場面で曲に価値を付けてくれるのだと。
メジャーデビューはそういった機会を増やせるんだと語った。
独りよがりなアーティストにはなりたくない。
そんなことも言っていた。驚くほど彼は音楽に対して誠実で、かつ僕たちの側にいてくれようとする。
また努力とはコツコツと右下から左上に伸びていかない。
波を打っていて、いつ上手くなるかは分からない。
突然グンっと上がって上手くなるのが明日かもしれないし、一週間後かもしれない。
その時のためにずっと続ける事が努力じゃないのか彼は言った。
確かにそうだ。同じ角度でずっと上がっていくと明確なゴールがあるはずだ。
でも努力の明確なゴールは目に見えない。
だから今日は少し上手くいった、でも明日は少し失敗をするかもしれない。そのような一進一退を繰り返した先にゴールがあるのだ。それの繰り返しだ。確かにな。そう思った。
真っ直ぐに生きている。
それを改めて実感した。

メジャーデビューが決まった興奮が冷めきれぬまま、ボカロカバー曲ではある物の、彼の代表曲と言っては過言ではない、「ピエロ」へ。
2018年の「火鳥風月ツアー」東京公演。中野サンプラザでのアンコールを思い出してしまう。
あの時は喉に爆弾を抱え、いつ戻ってくるのかも分からない暗闇の中で歌い上げた。
でも今回は違う。
”からだ”も元に戻った。万全な状態。その表情に火鳥風月の時に感じた不安さは微塵も無かった。一時活動休止の時に歌った代表曲のピエロをメジャーデビューが決まったことを報告した直後に歌い上げる。自分には出来ないと思うがその時同時に、やはり彼は音楽に生きているんだなと強く思う。

そしてそのまま、新曲「スプリング・サマークリーム」へ
アニメ・幼なじみが絶対に負けないラブコメ挿入歌。
初めて聞いたときこんなライブにぴったりな曲は無いと思ったがその予想は的中した。
声は出せないが、
””3!2!1!飛び出せ!”の所など、皆指で数字を作って盛り上がっていた。
早くこの世界的な混乱が落ち着いた暁には、みんなで叫ぶぞと思った。
叫ぶことかできる曲で叫べなくて悔しい思いをしたのもつかの間、ドラムが鳴り響く。
「タオルを回すことはできるーっ!!」と彼自身タオルを取り出し、回しだした。
今回は後方スペースから参加していたが、よく客席が見える。タオルを回すタイミング、クラップのタイミングなど揃っていたのがよく分かる。
気のせいだろうか…。声が出せない分客席のタオルはいつもより勢い良く回っていた気がする。
早くまたみんなで声を出して盛り上がりたいなと思った。
「また会いましょう!」
そう声を上げた。「Magic Music」
また会うことを約束する曲。
僕たちを繋げてくれる曲。
終わってしまう。でもこの曲がある限りまた会える。そんな気持ちにさせてくれる。
メジャーデビューが決まったからか、過去1番感情が乗っていたような気がする。
ありがとうと言われた。
そのありがとうのお礼を言いにまたライブに足を運ぼうと強く思っていると彼はステージから降りていった。

カーテンコールは鳴り止まない。
彼の言うところの劇団四季方式の声のないカーテンコール。

それに応えるように彼はまたステージに戻ってきた。
そして今回のライブのことを思い起こすかのように話だした。
やはりその表情は嬉しさが滲み出ていた。
ずっと言っていた「またメジャーデビューしたい!」と言っていた夢。
彼は叶えたのだ。
嬉しくないはずがない。
どの言葉をとっても嬉しそうに聞こえる。
夢を叶えて本当にすごいと思う。
それと同時に本当に嬉しく思った。
そして言った。
どうしてもこの日に言いたかった。
伊東歌詞太郎としての誕生日である7月25日にどうしても言いたかったと。
いつも彼は僕たちに向き合ってくれている。
アンコールで「パラボラ〜ガリレオの夢〜」と「僕だけのロックスター」を歌い、またね!といってステージから消えていった。

夢に進んで歩く。
とても簡単のようなことで難しいこと。
それを彼はずっと言い続けた。
僕自身彼のライブに行くようになってから幾度となく聞いた夢。
メジャーデビューしたい!!
その夢を叶えられたのはやはり心·技·体がひとつになったからでは無いか。
どれかひとつ欠けてしまうと完成しなくなってしまう。
彼自身声帯結節を患い、苦しい思いをした。その苦しみは僕には分からない。
でも彼はそんな経験ですら、礎にして更なる高みへ挑戦し続けた。
明確なゴールない世界で、藻掻くように。
ただ真っ直ぐに。
立ち止まっても下は決して向かず、前を見据え続けた。
その姿に救われた人も多いだろう。
僕もその1人だ。
ちょうど三年前、君住む街へツアー時、体調を崩し、仕事を休んでいた。
ベットの中で何度も悔やんだ。
何度も泣いた。
朝が来て欲しくなくて、寝るのが嫌になって、それが辛くて……。
その時言われた。
【立ち止まっても下を向かなければ、前に進めてる】という言葉。
その一言を聞いてから、早く治そうと思えた。
彼に出会ってなければ、また歩き出せなかっただろう。
ずっと立ち止まって、潰れてしまったかもしれない。
でもそんな時も彼の楽曲は紛れもなく僕の隣にいてくれた。
そんな感覚他の人もあるだろうか。

今回のライブは言わば、【決起集会】ではないか。
メジャーデビューで更なる高みへ向かう彼とそのファンたちの決起集会
だからこそこのセトリなんだろうなと思う。

1人では見ることができない景色もみんなとなら見ることが出来る。

まだこの世界の混乱は収まらない。
でも、その混乱を超えた先には素敵な未来があるはずだ。
その未来がどんなものかはわかんなくてもいい。
でも大丈夫だ。
心·技·体揃った彼がそこにはいる。

きっとこれから先も新しい世界を見せてくれるだろう。
新しい世界でまた前と同じく声を出せる日を待ち続けよう。
最高の仲間たちと。

僕たちに似合う世界まで。

今も尚、世界各地で終息が見えないコロナウイルス
その未知のウィルスはいとも容易く僕達の世界を一変させた。 

以前のように簡単に出歩くことさえままならず、かつて見たことのない自粛が呼びかけられた。

街からは人影が消え、人会話することさえ控える様になった

当たり前にできていたことができなくなり、 
今まで僕たちがいた世界は音もなく崩れてしまった。

音楽イベントは密集するため中止や延期が相次ぎ、オンラインライブを行うアーティストも多かった。

だからこの禍中で、僕達のロックスター、伊東歌詞太郎がワンマンライブツアーを開催すると聞いたときは嬉しさと不安があった。

最後のツアー“君住む街へ”ぶりのツアー。
また彼の歌声が生で聴けることへの嬉しさ。
ただ、混乱が続く禍の中で本当に開催するのかという不安。

本当に開催するのか。
そんな気持ちのまま僕はチケットを申し込んだ。
きっと年明けには状況は変わると根拠のない確信を持っていた。

しかし、年末から年明けにかけ、そんな僕の思いと裏腹に状況は悪化していった。
日々、患者数は増えていき再び緊急事態宣言が一部の地域に発出された。

例に漏れず、彼のワンマンライブツアーも静岡、大阪、仙台と延期が発表され、このままだと東京も延期になるだろう。と思いかけた。

しかし、開催が決まったという情報が発表されるとまた彼の歌声が聴けるという嬉しさがこみ上げてきたが、やはり不安もあった。
もちろん、バカが付くほど真面目な彼のことだ。
ガイドラインに沿ったライブを行うのはもちろん、感染症対策をしっかり構築した上で敢行すると信じていた。

しかし、もしライブ参加者でコロナウイルスに感染した人がいた場合、クラスターになってしまわないか。大規模イベントだ。クラスターなんて出たらテレビで報道され、彼の活動に影響が出るのではないか。そう思ってしまった。

そんな期待と不安を抱えたま、当日を迎えた。


2021年2月11日。
東京・恵比寿ガーデンプレイス
会場には多くのファンが集まっていた。
以前と変わらない光景だが、皆マスクをつけ適度に離れているのを見ると世界が変わってしまったことを改めて実感する。
あの頃の世界ではないんだと。

そこにいるファンの表情はマスクで隠れているが嬉しさで笑顔であろうとそう感じた。


会場に入り驚く。
椅子が並び、前後左右が空いている席配置となっていた。少しでも密集を避けるためだ。
手指消毒、検温はもちろんのこと、チケットはラインを用いたもので、有事のときにはそこから連絡が来るのだろう。また当日券やチケットは持っていないがグッズを購入する際は問診票に住所や連絡先を記入しなければ行けなかった。

指定された席に座り、開演を待つ。
開演前独特の緊張感が会場を包み、照明が落とされると一気に緊張感が増す。

オープニングSEからバンドメンバー、そして歌詞太郎本人が登場すると大きな拍手で彼を出迎えた。

バンドメンバーをバックに彼は「ようこそ!!」と高らかに北極星を歌い上げ、続いて「革命トライアングル」で会場は更に盛り上がる。
2曲披露すると照明がつき、彼自身がお辞儀すると会場には、拍手だけが響いた。
これも感染症対策だ。飛沫防止のため声を出すことすらできないのだ。
本当なら曲の合間や、コール・アンド・レスポンスで一緒に歌うことが大好きな彼だ。
演奏中に手拍子しかならないのは初めてではないか。
鳴り止まない拍手を受け彼は声を震わせながらなんども「ありがとう…ありがとう‥」そう呟いた。

声を上げることのできない僕達は拍手で答えるしかなかったのだ。

そして口を開く。
今回の開催に当たり凄く考えたということ。
ガイドラインに従い、観客数や席の配置など本当に多く考えたと。

その中で来ることを選んだ人。
来ないことを選んだ人。
開催すると決めたアーティスト。
開催しないと決めたアーティスト。
様々な人が悩んで弾き出した答えはすべて正解なんだと言っていた。

続けて言う。
音楽は自分にとって日常だと。
息をするのと同じで、日常生活の一部。だから改めてSNSで言う必要もない。と。 
でも彼の歌うという日常は非日常になってしまったということ。

改めて目に見えない脅威の恐ろしさを実感する。
当たり前が当たり前では無くなってしまった。

こんなことも言っていた。
曲の合間に見えるみんなの顔がよく見えると。
こういう表情で見ていてくれたんだとわかった。
マスクをつけていても笑ってるのがよく分かると。
人との間隔が空いてる分良く見えるのだろうとそう思った。

どんな世界でも彼は彼だ。

その後、ボカロ曲やオリジナル曲を続けて歌い上げた。歌う彼の姿は以前と同じ。
精一杯という言葉だけでは物足りないぐらい音楽に向き合って魂込めて、音楽に命を宿す。
彼の音楽は生きていると強く思う。
それがボカロ曲のカバーでもオリジナル曲でも同じ。
強いメッセージ性を持った歌声で僕達に語りかけてくる。
心が震えずにはいられない。
本当は声を出して応えたいが、そうできない今僕達にできる術は拍手しかない。

ガイドラインに従うとそのような曲は演奏できないんだろうと思った。

そう思った矢先彼は言った。

『このツアーのセットリストは変更したところも多々あった。声が出せないのでそういう曲は入れなかった。歌えない分は僕が代わりに歌うから心の中で歌ってほしい』

笑って話していたが多分彼が一番悔しかったはずだ。過去ツアーでファンの反応を見たり、一緒に歌うことで嬉しそうにしてた彼だ。その機会が奪われた。
でも心で歌ってほしいという。

こういう姿勢がたまらなく好きだ。

その後も自身のシングルから『記憶の箱舟』や『僕たちに似合う世界』を歌い上げた。

『僕たちに似合う世界』を歌うと彼は口を開き、
この曲はコロナ禍以前からあった曲であると言った。それもそのはずだ。この曲は彼のエッセイのイメージソングでもあるのだ。
でも世界的な疫病の流行の中でこの歌の一節

〚終わりのない旅路の向こうに
 終わりのない幸せがあると
 本当の気持ちだけ伝えていくよ〛

ここが妙に響いたのだ。
終息はするがウィルスは姿かたちを変えまた僕達の前に現れるだろう。
この新しい生活様式に終わりはない。
でもその先に幸せがある。
その幸せかどのようなものかは分からないが、幸せが待っていると信じることができるのはこの曲のお陰であると思う。

続いて、劇団銀岩塩の公演に際し書き下ろされた新曲World's end
彼自身ちょっとチャレンジした曲で歌うのに少し構えてしまうのだという。
確かに彼の曲は力が大きい。
聴く側も構えていないと心が驚くほどの力がある。
そして歌う前こんな一言を残していった。

『この曲を歌うとき構えなくなったらまた一つ成長したと思えると思います!!』

全く。本当に音楽に生かされ、生きている人なんだなと感じずにはいられなかった。

曲が始まりビリビリと肌に音楽が飛んでくる。エネルギーが強いのだと思う。
言葉一つ一つが胸に刺さる。

以前彼は著書で言っていた。

『音楽はリスナーに聞いてもらってか価値をつけてもらい、その人の中で魔法になるのだ』

初めて聴く曲でも、その人の中では魔法になり得るのだ。

聞いたことの無い新曲を聞いてそう思った。

その後ライブの定番ソング「I can't stop falling love」へ
ライブ終盤になり会場は盛り上がりを見せ、「タオルを回すことはガイドラインには乗ってなーい!!」と叫び、会場ではタオルが回る。

曲中の声を出すのところは誰一人発せず、手振りで彼に応える。

会場がひとつになる。そんな感覚になる。
思えば会場がひとつになれる曲はこの「I can't stop falling love」だけではないだろうか。
早くまたみんなで『Jesus!Jesus!』と叫べる日が来て欲しいとタオルを回しながら願った。

その熱気のまま最後「magic music」へ。

『また会いましょう!!』
そう言って歌い始めた。

いつ聞いてもこの曲は僕たちと彼を繋ぐ曲としか思えない。
また会いたい。
また会いたい。
またあなたに会いたい!!
そんな気持ちが強くなる。

また会えたら僕だってあなたのこと思う。
彼のmagicで沢山救われてきたのだ。
泣きたいこともこの一年沢山あった。

でも彼に会いに来るとまた前を向ける。
そんな魔法をかけて貰える気がする。

もし、暫く会えなくなったとしても大丈夫。
だって魔法は解けないのだから。

曲を歌い終わり、ステージから去っていっても拍手は鳴り止まなかった。
普段なら『アンコール!』と声が上がるが、ガイドラインに沿って誰も声を出さず拍手でアンコールをした。

それに応えるように彼はステージに戻ってきた。
改めて、今回のライブが無事開催できたこと。
ガイドラインを守って声を挙げずにいてくれてありがとうと述べた。

正直僕自身、誰かは声を上げてしまうのではないかと思っていた。
でも誰も声を挙げず、静かにライブを盛り上げていた。

途中彼自身が客席にマイクを向けるシーンもあったがそれでも静かだった。
それを見て僕自身すこし誇らしかった。

以前ファンはアーティストを写す鏡と聞いたことがある。

誰一人として約束を破らずにいた事を特筆しておきたい。

彼は言った。

「楽しいことをすると免疫力が上がる。
だからライブに来たみんなは免疫力が上がってるぞ!!」

笑い声は聞こえなかったが、恐らくみんな笑っていただろう。

確かにまた明日から頑張ろう。不思議とそう思えた。

そのままアンコールの「僕だけのロックスター」へ
曲中バンドメンバー紹介で、いつもなら
「あなたと伊東歌詞太郎でした!」
という所を
「心のあなたと!伊東歌詞太郎でした!」
と言っていて、言葉が出せないなら心で繋がろうとする彼の姿勢がやはりたまらなくかっこいいと思った。

余韻を残したまま、もう1曲「パラボラ〜ガリレオの夢〜」へ。
不安や希望。
悲しみ
果たされない約束
誰かが捨てた未来

本当に色んなものが重なり目には涙が溢れた。
色んなことを考えた。
状況が重なりすぎている。
光さえ見失いそうな毎日。

でも彼の曲たちは永遠に照らしてくれている。
そう改めて思う。
アンコール2曲を歌い上げると彼は客席に別れを告げ、ステージを後にした。


正直今回のツアー行こうか行くまいか悩んでいた。
この状況で……と何度も自問自答して弾き出した答えが行くという選択。

間違ってるんじゃないかと思った。
でも、どの選択も正しいと思うと彼は言った。
その言葉に救われた人は多いのではないだろうか。

未だ終息が見えないコロナウィルス。
対策してるからと言っても密集の場。
気にならない訳がなかった。

しかし対策はしっかり取られていたことを声を大きくして言いたい。

彼自身色んなライブに足を運び、どのようにライブが運営されてるか研究したそうだ。

もはや当たり前になってきたが、検温、手指消毒、ソーシャルディスタンスの確保はしっかり行われ、ライブのMCの所で
はドアを開け換気を行っていた。
また会場も前回の時と比べ規模が小さくなっていた。
もちろんこれもガイドラインに沿った運営だ。
運営サイドはきちんと対策をしていたからこそ安心して楽しめたと思う。


では我々ファン側はどうか。
本文中に少し触れたが、ライブ中誰一人声を発せず、静かに応援し、一生懸命拍手を送り、笑い話では笑いをこらえていた。
改めて彼のファンのマナーの良さ、
そしてそのファンの1人として誇らしかった。
僕達はきちんとガイドラインを遵守していた。

新しい生活様式になり、オンラインに取って代わるものが増えてきた。
ライブもそうなるのかと思っていた。
だからもしかすると対面のライブはこれが最後かもしれないと少し思っていた。
しかし、ライブ中彼は
オンラインライブはオンラインライブの良さがあると説き、またオンラインライブも路上ライブもホールライブもやると言っていた。
その言葉を信じて待ちたいと思う。

今回は感染症予防の観点から2部公演という形式が取られ、また東京公演では2部のみ配信するためお面着用となった。
この事について突然の発表ですこしざわついた。
中には「顔出ししてないことにこだわるのか」といった意見も見かけた。

最もな意見だ。
でも僕は彼の素顔を見て好きなったのではない。
彼の音楽にひかれたのだ。
確かに彼自身とてもかっこいいと思う。
それも1つの魅力である。

思い出して欲しい。
彼は0か100でしか生きられない。

自分で決めたルールに従う。

一見簡単そうだがとても難しい事を彼はずっと続けているのだ。

そんな生き方だと思う時もある。
でも周りに左右されない軸のブレない生き方だなと思う。
その生き方がやはりたまらなく好きなのだ。

考え方が変わっても本質は変わってない。そんなことを感じたライブだった。

これから先の未来がどうなるか分からない。
前みたいにみんなで歌い合える日が来るのかさえ分からない。

ただ1つ。
この世界は僕たちに似合う世界ではない。
でも
またみんなで歌い合って、笑い合える日が来るまで、お互いに励まし合いながら頑張って生き抜こうと思う。

新しい、
僕たちの似合う世界が来るまで

BUMPの報道について感じた違和感

先日からBUMP界隈で話題になっている、メンバーちゃまこと、直井由文の不倫報道。

妻子が居たのにも拘わらず、四年前に不倫をしていたという物だ。

 

この件が騒がしくなっていた時、内心とても腹立たしかったし、大好きなBUMPがまさかこんな最悪な内容で世間に広まって欲しくはなかった。

 

僕がBUMPの楽曲に出会ったのは中1の時だったと思う。

兄が聴いていた「天体観測」を聴いて衝撃を受けた。

 

「なんてすごい曲なんだろうか。」

 

アニメ好きで、アニソンやらキャラソンばかり聴いていた僕の音楽はあの日から一変した。

 

お小遣いでCDを買いあさり、聴きまくった。

いつしかBUMPの楽曲で一番好きな曲は「pinkie」と言えるまで、BUMPにのめり込んでいった。

 

大きくなるにつれ、BUMPの楽曲の持つメッセージ性の強さ、音楽の強さを実感し、いつしか好きな音楽は?と訊かれたときは「BUMP!」と答えられるまで、BUMPにとりつかれていった。

 

しかもこの記事が出たときは新曲「Gravity」が主題歌になった映画の公開日でもあり、すこし前後するが、昨年のライブ映像の発売が決まった時でもある。

何というか、タイミングが全て最悪だった。

 

あの報道があってからずっと、世間の反応を見ていた。

勿論ファンの中には「反省してるならいい」「プライベートとBUMPは別だから大丈夫」っていう意見も沢山見かけた。

 

ファンならそう思うはずだ。嘘であって欲しいと。

 

中には不倫相手を咎める意見すら見かけた。

 

でも冷静になって考えて欲しい。

 

妻子がいるのにも拘わらず、それを隠して不倫という背徳行為を行っていたのは誰かと。

 

それは紛れもなく、チャマなのは消せない事実だ。

 

それに時間を追う毎に新しい情報も出てきた。

以前にもプライベートについてメンバーで注意をしていたのにも拘わらず、メンバーの不貞行為を防げなかったと。

 

ここまで来ると、正直かばうのは難しいと感じた。

 

確かにプライベートとバンドは別物だろう。

でも、影響力を考えて欲しい。

 

例えば、僕が友達とバンドを組んでいたとする。

そして,僕が不倫をしたとしよう。それが明るみに出ても、あまり影響はないだろう。

仮に、そのバンドが好きな人がいたとしても、影響は軽微である。

 

しかし、今や日本を代表するロックバンドで、多くのバンドに影響を与えたと言われるBUMPのメンバーでこういう問題が出ると、大きな影響をもたらすって事が何故チャマ自身分からなかったのか。

 

いい年した大人が何してるんだろうか。

 

そこが謎で仕方ない。

 

意識がなかったのか、それともスターになってしまった期間が長く、もう一般の認識とずれたところに行ってしまったのか。

 

正直、我々ファンがあーだこーだ言ったところで、この不貞行為の事実は消せないし、傷つけた人がいるのも事実。

 

さらに疑問に思うのは謝罪文の一節の

 

「楽曲への信頼を失ってしまう事が何よりも怖く、悔しいです」

 

えっと、

楽曲に信頼を失うとか、悔しいとかどの口が言える?

悔しいってのはこっちの気持ちだ。

 

今後、好きな音楽は?と訊かれ、「BUMPです」って答えたら

「あぁ~不倫したベーシストがいるバンドでしょ」って言われてしまう。

そっちの方が僕は悔しい。

僕は今でもBUMPの楽曲を信頼しているし、大好きだ。

でも今回の一件で前みたいに手放しで喜べなくなってしまったと思う。

 

一時は解散とか脱退とかまで話が及んだそうだけど、

多分そうしたらもう二度と聞かなくなったと思う。

 

何でか知らないけど、日本人は責任を取って辞めるのが好きだ。

 

でもそれって現実から目を背けて逃げてるだけで、何も責任取ってない。

 

そもそも責任って何だろうか。

バンドマンなら、また必死で音楽をやって、また好きになってもらうのが責任の取り方なんじゃないだろうか。

 

とそこまで思ったときようやく自分の中で納得がいった。

あぁ……結局は裏切られたとかじゃなく、大好きなバンドが変わって行ってしまうことにショックを受けてるだけなんだなと。

もう、二度と前に見たいには戻れないんだなと。

 

もう、この事実は消えないし、
BUMPの看板に泥を塗った事実はいくら水で洗ったとしても消えない。

大きく付いた傷はそう簡単に癒えない。

 

しばらくは、チャマは活動自粛という事で残った3人で活動はしていくとのこと。

本人には猛省してもらって、自分がしでかした罪の重さ、

そして、

BUMPというバンドの看板に大きく泥を塗ったことを恥じてもらいたい。

 

苦しいとき、辛いとき側に居たくれた彼たちが奏でる曲には何も罪はない。

だからBUMPが辛いときに側に居たいと思うが、

内容が内容なだけに手放しで側に行けない自分がいる。

 

行ってしまったら、不倫はしても大丈夫、応援するよって不倫を肯定してしまってるのではないかと思ってしまうからだ。

 

でも、それでもやっぱり彼たちの曲は大好きで、きっと応援はするだろう。

きっと、残りの3人を。

 

チャマを許せるのかはまだ分からない。

 

でも、またあの4人で魅せてくれる素晴らしい世界をきっと心のどこかで待っている自分がいるのだと強く思う。

 

そのときはライブへ足を運ぼう。

何か変わってしまったBUMP OF CHICKENのライブへ。

 

転売とかについて思うところ。

この間、とあるライブに行ってきました。

まぁめちゃくちゃ楽しかったんですけど、ちょっとまぁ思うところがあったんですよね。

 

それは物販について。

 

そのライブの物販では11:00~物販開始、8:00~整列開始と公式で言われていました。

そのツイートには、「近隣は住宅街のため、8:00前からの整列はおやめ下さい」って書いてありました。

 

それ見たときには、まぁ大丈夫でしょ。と思っていました。

 

んで当日の朝7:50頃ツイートを見たら、もう並んでると情報が。

しかもその時点で100人弱が並んでいるらしいと。

 

いやおかしいでしょ?

 

公式のツイート見た??

8:00前の整列は辞めろって書いてあったよね!???

ってまぁ思うよね

 

僕も友人と合流して並んだときは8:30頃すでに400人ぐらい並んでいました。

まぁそれはいいとして。

8時前に並んだ人達。

いやおかしいでしょ?(2回目)

 

まぁ100歩譲って、並ぶのは分かる。そりゃ物販でグッズ欲しいもんね。

分かるよ。僕だって欲しいモノはあったし。

でもルールを破ってまでは欲しくない。

「私だけじゃないし~」とか言うかもしれない。

確かにそうだ。

でも考えて。

公式で早朝からの並ぶのは辞めてって書いてあったよね?

それで並ぶのは違うでしょ。自分達の行為の正当化しようとしてるだけ。

まぁ正当化になってないけどね。

これについては、運営サイドにも非はある。

8時から整列スタッフが待機しているって書いてあったけど、

8時前に並んでた人達を追い返したり、注意したりしなかったのかなと思ったり…

(これは見てないから運営サイドが100%悪いとは言えない)

 

それよりも疑問に思ったのは、

転売の多さ。

 

購入数マックス買って速攻メルカリに出品してる奴らがまぁ多いこと。

始めから転売目的で買っていることが明白な訳で。
それで8時前から並んでた人達+8時以降に並んだ人達ちょっとでとある商品は完売してしまったんだよね。

 

本当に欲しい人達に行き渡らなくて、私利私欲のために並んでる奴らにまぁ腹が立ったよね。

 

お願いだから転売されている商品を買わないで欲しい。

それ買ってもアーティストの利益にはならない。

 

それにもっと重要なのは、転売や早朝から並ぶ等のルール違反をやっていると、

今後の活動に影響が出てくるってことをなぜ理解出来ないんだろうか。

 

下手すりゃそこのライブハウスが使えなくなるかもしれないリスクもあるのに。

そうなれば自分で自分の首を絞めていることになる。

本当にそのアーティストの事応援したいのであれば、そのアーティストが悲しまない行動を取るべきだろうと思う。

 

ちょっと今回の出来事は運営、ファンとも見過ごせない出来事で。

双方今後、気をつけていきたいよね。

 

ルールを守って楽しむ事を忘れずに行きたいよね。

 

 

 

BLANK DISK

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2018年7月25日

とある1人のシンガーソングライターが復活を遂げた。

シンガーソングライターとしては生命線と取れる、声の危機に直面してもなお、

彼はずっと前を向き続け戻ってきた。

 

彼の名を伊東歌詞太郎という。

 

声帯結節と戦い戻ってきた彼。

彼は復帰ライブでリスナーの予想を斜め上行く事をしだした。

 

予告なしに新譜を出した。

それだけでもびっくりしたのに、キャパ1300の箱に対し、もって来たCDの枚数が1000枚という中々衝撃の事をし出す。

 

本当に彼の事が好きだなって思った。

 

 

そんな記念すべき日に出したCDタイトルは

「BLANK DISK」

初めて見たとき、休止期間(=ブランク)に作られたCD(ディスク)かなと思った。

しかし、ブランクディスクの意味を調べてみると違う気がしてきた。

 

BLANK DISKとはデータが何も書き込まれていない状態のディスクのことを指す。

これだけ見ると今回の事には当てはまらない。

しかし、フォーマットを行ったディスクについても、ブランクディスクと言う。

どちらかと言うと、後者の方が今回のアルバムにふさわしいのではないかと思う。

 

フォーマット。つまり初期化である。

声帯結節を乗り越え、新しい”伊東歌詞太郎”が始まる。

そんなリスタートを切る事をフォーマットと捉えたのではないか。

そう思わずにいられなかった。

 

だからだろうか。

今回BLANK DISKの曲達は今回の休止期間の事を指しているとしか見えなかった。

「言葉と心」「その暖かな手を」「Tonight」「ムーンウォーカー

これだけで、このアルバムが休止期間の事を指しているということを理解するのに、

時間はいらなかった。

その予想は歌詞カードを見て確実に変わった。

 

「言葉と心」

出だしから、この曲は僕たちの心に殴りかかってくる。

言葉に出来なくても 素晴らしいことがあった

言葉にならなくても素晴らしい事があった

 すべて後付けと思われるかもしれないが、言葉に出来ない=発することが出来ないという彼が抱えた声帯結節の事と結びつけるのはそう難しい事ではなかった。

曲中には

明日が来ないような 不安があった

悔しい気持ちだけで 動けない夜があった

が続く。僕は彼はいつでも明るいからそんな事を思っているなんて思ってもいなかった。そのときに気がつく。彼だって不安だったのだ。

曲中繰り返される、離さない、離したくない。それは間違いなく彼の心境。

不安と孤独の中で葛藤している彼の心の中。

僕たちだって彼と離れたくない。

そんな強いメッセージを載せた曲は最後にこう締めている。

いつもまでも君のそばに いたいのです

僕たちだって彼のそばにいたい。

僕もこの曲を聴くと胸が締め付けられる。

 

「その暖かな手を」

この曲も明らかに休止期間の事を指している。

夜が来れば 少しだけ楽になる

置いて行かれないような気がしてる

本音を言えば触れてしまいたくなる

その暖かな手を

彼が見せた彼の弱音ではないか。

不安の中、彼は本音を言ってしまえば触れたくなってしまいたくなると吐露している。

思い上がりかもしれないが、彼はファンに会いたかったではないか。

だって、僕がそうだったのだから。

続く曲中に出てくる

・夢中で紡いだ物語

・心を体のつかの間の別れ

確実に「家庭教室」「声帯結節」の事を指しているとしか考えられなかった。

そして続くサビでは、彼は願望を吐き出す。

会いたかったんだ 会いたかったんだ

その声と笑顔がとても欲しい

会いたかったのは僕たちだってそうだ。

彼の笑顔、歌声が聴きたいと休止期間ずっと思っていた。

ただ、少し僕は怖かった。

これだけ人生が変わる経験をして彼の中で何か変わってしまってはいないのかと思った。

しかし、そんな僕の思いは杞憂に終わる。

久しぶりに声を出し確かめる

少しは変わるモノと思ってた

残念ながら少しも変わりはしない

本当に歌が好きだ

あぁ変わってない。変わらないなっと思った。

あんなに彼にとって人生を変えかねない経験を歌にしてしまう彼の才能に恐怖さえ感じた。

ただ、僕で良ければ手を差し出す。

暖かい手を。

 

「Tonight」

前の2曲に比べると彼の経験のエッセンスは大分薄くなっているように感じる。

しかし、歌詞カードを読み解くとこれも確実に今回の一件に由来していると僕は思った。

確かめようと何回も僕の心のドアノックして

あぁ今日ぐらいは見せていいよな

 

大切なモノだけがずっと心にあるから

君だけの僕じゃない

そっと伝えたけど

恐らく、彼自身僕たちから離れていった時、不安な気持ちになったはずだ。

いざ戻ってくることになったとき、僕たちの気持ちが気になったのではないだろうか。

離れていってまた戻ってきた。

ただ、彼自身、僕たちが待っていることは分かっていたはずだ。

でもやはり心のどこかに不安が会ったのではないか。

だから、彼自身の心のドアをノックして自分の気持ちを確かめたかったのではないか。

その結果大切なモノだけはずっと心にあった。

でも、この曲の後半で彼はらしくない言葉を残す。

君が伝えたメッセージ

僕は受け止めてるいつだって

全て叶えてあげられるわけじゃない

弱気な言葉を珍しく吐いた。

そりゃ確かに彼は魔法使いではない。

僕たちがどれだけ会いたい、曲を聴きたいと思っても限度はある。

全て叶えられられる訳ではないと頭では分かっている。

でも彼に縋ってしまっている。

でも、僕と彼たちが求めているモノは一緒のはずだ。

それはきっと変わらない。

Tonight!

ライブの日の事を指しているのではないか?

僕はそう思った。

だって、僕たちも彼に出会って、物心ついたときからライブ会いたい!

そう求めているから。

彼も彼自身が自分でいられるライブでファンに会いたい。

そうきっと求めているはず。

そう思った。

 

ムーンウォーカー

この曲の歌詞を見たとき、僕は2つの事が思い浮かんだ。 

1つは休止期間で書き上げた「家庭教室」の第5章のマルコの事。

もう1つは人生について。

1つ目の家庭教室のマルコについては

さぁこれから犯罪者にならないかい?

3年ぶり突然の連絡がぶっ飛んでんだ。

のところで察した人も多いはずだ。

それより僕が気になったのは

だって未来なんてもんは 何もわかなくていいや

ぎゅっと2度とない夜を

抱きしめていま

のところだ。

未来に何が起こるなんて誰も分からない。

もしかしたら僕も明日何かで死ぬかもしれない。

明日、事故に遭うかもしれない。

本当に誰もが分からないのだ。

恐らくそれを一番実感しているのは彼自身なのではないか。

思いもせず、声帯結節に罹り、自分のアイデンティティーの歌声がなくなる可能性に直面した。

だれがこんな未来を想像しただろうか。

きっと僕だったらこんな未来に絶望するだろう。

きっと人生を投げ出したくなる。

でも、彼は違った。

きちんと向き合い、休止期間に小説を書き上げたり、声の発声許可が降りてから

血のにじむ努力をしてきた。

その結果いつもの日常が戻ってくる未来であれば、知りたいと誰もが思うだろう。

でも、彼はこの曲で言っている。

「未来なんて何もわかんなくていいや」と。

そんな辛い事でさえ曲に変えてしまう。

だから、彼がこの先作る曲がどんな楽曲か、知りたいと思うけれど、

分からなくてもいいやと思う。

 

 

4曲を見てみると、このうちの1曲が欠けたら「BLANK DISK」ではなくなるだろうと思った。

このあと、「west side story」「From Far East 21」のアルバムを出した。

確かに他の2枚にも今回の出来事に関連するような楽曲達はいるのだが、

もし、違う曲が入っていたら全く違う作品になっていただろうと思う。

 

逆に言えば、この4曲しかBLANK DISKにはしか考えられない。

この4曲がBLANK DISKを構成している要素だと僕は思う。

 

しかし、改めて思う。

自分の大切なモノを失いそうになって、それでも尚、藻掻き、生きていこうとする生き様。

こんな生き方は絶対にマネできない。

それはそうなのだが、自分が前に進めて無くても、下を向いてはいけないと思った。


今回はどちらかというと、彼からのメッセージ性が強かったように感じる。

「帰ってきたよ」

「大丈夫だよ」
そんな事を言われている気がした。

実際、復帰ライブの時、涙を浮かべて声を震わせていた彼。

もうそこに休止前の彼はいなかった。

前を見据えている、いつもの彼がそこにいた。

あんな彼はもう見たくない。

 

でももし、またこの先休止するようなことがあっても恐らく大丈夫だろう。

 

だって、未来なんてもんは何もわかんなくていいんだから。

 

ホテリエから思う高級ホテルの誘致について

突如報道された高級ホテル誘致の記事

↓これね。

www.jiji.com

 

まぁ確かに誘致したくなるのは分かる。

 

僕のいるホテルのゲストもよく言って言る。

「日本には高級ホテルが少ない。それが欠点だ」と

 

それは僕も思う。

国内で名が知れているホテルと言えば

・帝国ホテル

・京王プラザ

ホテルニューオータニ

ホテルオークラ

ヒルトン

星野リゾート

・マリオット

・リッツカールトン

・インターコンチネンタル

東武ホテル

・ミレニアムホテルズ(ディズニー系)

プリンスホテル

…位かな。



シェラトンはマリオットに買収されたので割愛)

 

とここまで見ていて思うのは、外資系のネームバリューの強さ。

 

強い。

本当強い。

特に外資系ホテルにいると、本当に思う。

 

そりゃ帝国ホテルとかオークラとか国内ではネームバリューはある。

だけれど、海外に出ちゃえば知名度は下がる。

 

「Keio-Plaza???  What's?????」

ってなるじゃん。(知らんけど)

 

国内で知られていればいいじゃんと思うかもしれないけど、

海外から来るゲスト視点に考えてみれば

得体の知れないブランドのホテルに泊まるのは大分抵抗があるはず。

 

その中で、外資系の強みは

ブランドスタンダードに則ったホテル運営

につきると思う。

 

海外に行くときに皆さんも

「あっこのホテル名前聞いたことある」

ってあれば少しは安心するんだと思う。

 

そりゃ国内で有名なホテルでも海外からすれば本当に知名度なんてない。

だから外国人ゲストは外資系ホテルを選ぶ。

とりあえず、分からないけど、

「まぁこのブランドならここに泊まっておけば安心だな」

っていう意識が働いているんだと思う。

 

海外に行った時にマックを見れば、とりあえず安心するじゃん?

 

それと同じ。

 

だからこの記事が出たときに

僕自身増えるのはいいことだと思う。

 

ホテル業界の求人を見ていても思う。

ビジネスホテルとかの宿泊主体型が圧倒的に多い。

外資系ホテルでも中級クラスのブランドもある
(ホリディインとかコートヤードとかね)

 

海外ゲストは、アパホテルとホリディインとかを見たら

「APA~?ヨクシラナイ…ダッタラ ホリディイン ニ 行ク」

ってなるわ。(そんな会話聞いて事無いけど)

 

だから高級ホテルが増えるのは大賛成。

新しいブランドが日本上陸するのも本当に楽しみ。

 

それはゲスト目線。

 

スタッフ目線から言わせてもらうと

 

 

「え?スタッフ足りる??」

 

 

ってこと。

ぶっちゃけてホテリエは給料が良くない。

これは本当。

 

それに加えホテルが増えたことでホテルの求人はずっと出てる。

でも求人見てても惹かれるモノが少ない。

 

僕自身思うのは給料が本当に低い。

 

高級ホテルに勤めてる給料が高いではない。

僕の意見だけど

「自分が満足できないといい接客なんて出来ない」

 

ホテル業界の苦しさを知って欲しいなって思う。

現に、ホテルにいると引き抜き合戦が多い。

やめた部長が違うホテルの部長をやってるなんてよく聞く。

 

なので、高級ホテルを増やすというのであれば、

働く側の改善をしないと人は集まらないと思う。

 

ホテルで働く人の環境が変わるといいなっって思ってます。

 

…まぁ今月でやめるけどね。

ホテリエ